そういうわけで帰宅して今夜の録音した壇蜜の耳蜜をきく。
だんべ。
つらいというかわからない。クライアントの幸せを一番に考えています。
います。といいながら。関係者一同のまるくおさまる形も考える。
みながひきこもりはわるいことだと言うとそこで本人の希望はどうなるのか。主体的な。
なんかねーーーーーーーーの、家族がそこにいることがかえって悪影響。
主介護者ではあるものの。
つらつら。
蕎麦うでて食う
アイデアを5個かんがえる
「主たる介護者(キーパーソン)がかえって邪魔なんだ!」
「サービスを使わなくてもなんとかなると思える瞬間’(介護保険からの卒業)」
「片麻痺だけどここまではできる、それでなにか問題でも>?」
「そりゃ生きてるだけならここでこの部屋でなにもしないでただそこにいるだけで生きている、でも何もできないでじっとして時間が過ぎていくのを感じているだけなのはつらいしいっそ殺してくれって思うんです」
「この痛いのは多分一生消えませんし治りません、だったらこれからあとの生きてる時間をどうしたいですか?」
みたいな・
切実
というかなにこれ
ドキュメンタリー
現実の世界、残酷、疾病も機能不全も疼痛も なにもかもがそこにたしかに在るあるんだよそれは消えないし努力によってなくなることもないんだよでも感じてる感じが薄くなることだけはあると思うんだ。
主観が変わることはあるたしかにあるんだと思うんだ
でもまだまだオレにとっての環境はきついばかりだ仕事の成果としてはマイナス査定の積み上がり累積それが赤く赤く