人間の条件2

今年は人のすすめ(ついったーのすすめ)に

したがってラジオであたらしく

NHKで「文学」

アメリカ文学の短編を文庫で楽しむ

都甲先生の解説

をきくようになり

 

改めてアメリカにおける「人間の条件」といいますか

たとえば

黒人であるとか

ゲイであるとか

それだけのことで

人間ではないとされ

人間の条件からはずれて

リンチや

しばり首など

結局なぶり殺しにされてしまうような

そういう風景は短編において描かれており

 

そうだったわけだよ

 

女性もそうだね

 

だから黒人で女性だと

もうなんか何もない状態というか以下というか

そういう扱いをうけることになる

 

それは日本においてはなかなか意識されることは少ないのかもしれない

たとえば在日コリアンであるとか

非人の歴史とか

部落差別

アイヌ

いろいろあるが

在日で日系ブラジルでも

ベトナムでも中国でも

どこでもフィリピンでも

外国人であるというだけでなじませてくれないとか

 

なんでもあるのである

 

人間どこでもそうやって

 

差別をうみだす

 

結婚しているのかしていないのか

子どもがいるのかいないのか

 

髪が生えているのかいないのか

 

なんでもいいとおもうのに

 

なんでもいいんだよ

 

ましてや

 

そういう職につくとは思わなかったから

医療福祉の現場を歩く仕事を得て

そしてわかったことは

障害を負うなんてことは日常的にあることであり

老いは必ずすべての人間にやってくるが

障害(後遺障害)だって確率的にやってくる

それは誰のせいでもない(どうしてそうなるのかも

解明されていない)

難病とか

事故とか

いくらでも因子はあるのである

高次脳機能障害

病識ないまま生きていかねばならない人も

たくさんいるし

片マヒも

歩行や移動の障害

なんでもあるし

たくさんある

 

そういう人がたくさんいて成り立っているのが

この社会であって

人間に条件をつけるなんてとんでもないのである

 

だからコロナ感染症になったとてそれは彼女彼のせいではない

のである

注意しなかったからなったのではなく

誰でもなる段階に至ったのだ

 

至ったのだ

 

2020がそれをわからせたのだ

 

だからオレがなったとしてもそうである

 

安心しろ

 

ケツをみて安心感を得たり

年末のスーパーに併設のミスタードーナツ

笑顔でならんでいる私服の女子中学生だって幸福の象徴だ

 

それ以外にも幸福はあるのさ