ひる2

雑記

 

まあさあ

 

西炯子先生についてはこれでもそれなりに長く読んで

いろいろな作品を読んできたおかげで

いまになって

なんとか

西先生の言う「キャリアが二部に分かれている」ことを

理解できる気がするのね

 

以下引用

 

西 私はマンガを描く上において、キャリアが二部に分かれている気がします。初発の動機というのは、自分の中にある整理されないものを表現していったら、というところから始まる。若手の漫画家は、多分、小説家の方も、クリエイターの方も、自分の内部衝動とか処理し切れないものを「こうなんだけどさ」と言いながら拙い絵で見せていく、表現していくということからスタートするのかもしれません。
私はそれを随分長くやっていって、それで評価されたというところがあるんですが、自分の中の問題というのは大人になるうちに整理されて、世の中はこうだ、人はこうだ、私はしょせんこうだ。しょせんと言ったらあれだけれども、私はこうだ、人はこうだというのがだんだん自分の中で分かるようになってきてからは、自分の内発的なところに題材がなくなってしまったなというふうなことを、30歳ちょっと過ぎるぐらいに感じはじめて、それからちょっと辛かったのです。

(中略)

そこからもう駄目だと思って、内発的なところではなくて、例えば、こういうリンゴが欲しいから、こういう糖度20度くらいのリンゴを作って、この時期に出して、お客さんはこの地方のこういう人というふうな感じで、注文に応じて作るというか。自分の持っているもの、今まで蓄積したものの中からこういうものがありますけれども、これはどうでしょうか、これは商品になりそうでしょうかというようなことで提案し、ではそれを商品にしてみましょうか、大体年齢層はこれで、性別はこんな感じで、部数はこれくらい出ていますよ、今こういう話を描くと面白いかもしれませんねという形で、発注者とこちらの持っている材料とを合わせて、オーダーメイドで作るようになったのが第2期です。これが40歳になる頃だったと思います。
それくらいから、私は明らかにマンガを作る動機が変わっておりまして、発注があって、例えば100を求められたら120ぐらいで返すことを目標として描くようになったのが、ここ10年ちょっとです。多分、私の場合は、ここ10年とそれまでの20年近くでは、雰囲気が変わっています。

 

引用おわり

 

出典:

http://imrc.jp/images/publish/other/report2019/report2019-03.pdf

 

 

まあそれでさ

 

そういう理解はインタビューと

テキストとしての漫画を読んで感じることと

両方あって

それで両方から暫定の解を得るわけですよ

 

そういうことはたまたまそうなるのであって

それでも

インタビューがなくても

テキストとしてある漫画そのものを読んで

仮説を立ててもいいわけだよね

立てられるものならな