diary of unknown people

レギュラーで

ついったでみている人と

日記をフォローしている人と

つまり何人か

しらん人(対面で会ったことない人)

の日々のつぶやきとか日記とかを

読んでみている見ている

わけだが

不思議だね

しらん人なのに

しかも営利じゃないのにこっちもつぶやき日記をかき

むこうもつぶやいたり日記を書いたりしているんだよ

しかもコメントをやりとりとかは

しないんだよ(ごくごく稀にすることもある)

 

不思議にきまっておる

しらん人だし

本名も住所もしらん人だ

 

(住んでるところくらいはおぼろげに都道府県は知ってる

けどね・・・)

 

それこそついったで片思いフォローとかだと

なにもわからん人なわけで

わかるのは趣味だけだ

なぜならついったに書くことが

趣味の「これが!」という叫びしかついーと

 

していないからである

 

オレだって「これが!」ということしかしないように

しておるわい

そうじゃないバカなこともつぶやいているが

 

そういうことが積み重なると他人も自分も

とくにその差異もなく区切りも

違いも

他人であるという事実も

どうでもよくなる

オレの感想も他人の感想も

だれかの感想であるというだけのことで

無名人のつぶやきというカテゴリとしては

なんの区別もなくおなじ大鍋にいれられて

煮込まれているのである

 

それが市井の人の生活である

 

特別なことなどなにもない

 

しかし時間はながれ

 

高校生は大学生になり就職していくし

実家にいたのが実家を出たりたまに実家にかえってきたり

するのだる

高齢者は会社を定年退職し嘱託になり嘱託をやめて

シルバー人材センターにいってまたはたらくのだる

 

どっちもオレがついったでウオッチしている人である

 

他人の人生

 

オレの人生もだから特別なことはなにもないのである

 

asmr動画をeveryday everynight

みているのであるウォッチング

 

YOUTUBEが生命維持に役立つ

 

ありふれた人生

 

ありふれていること自体は

価値として高くも低くもないのである

別にそれに値段つけて売るためのものではないから

売らないならば高い低いもないだろう

尊いかといわれれば

ある人からはそうだしそうでない人からはそうではない

それこそよみかけの本だ

『価値

があるとはどのような

読みかけて

でもいつか読むよ

価値だからね

とびっきり重要なことだ

 

そういう著作は「特別

であって価値があるのである

なにしろ価値について考えることでもあるし

それを著すということは特別な行いでその価値は

特別だ

値段をつけて売ってもいいくらいだ

かわりに著作を売るわけだけどね