自分自身とのうんぬん

・星占い

石井ゆかり先生の水瓶座

来週(’7月3~9)が「誰かと真剣勝負する時期だからこと自分自身と話しをつけて対話しておくことが重要なのです」

とおっしゃるのであります

・「私たちは私たちの中にとじこめられてる」というのである えっと

「他人にわかってもらうということは不可能で」みたいな話しそれは

映画監督のシャーロット・ウェルズが

「アフターサン」のことについてのインタビューで語っているもので

『aftersun/アフターサン』監督が語る「メランコリック」な世界の見方、観客と映画をつなぐ余白 | CINRA

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たぶんそういうことを覚えていたんだと思うんだが

記憶

をさかのぼったり自分の記憶をまとめたり再構成したりすると

日記

にいきつくわけで

 

・オレは日記でなんどとなく何度もくりかえしくりかえし

自分の脳内から立ち去らないものについて書いているのだが

はみだしっ子のような

Sonsのような

三原作品は少年の話ばかりで主体として少年つまり男子のこころのありかた

ばかりが出てくる(恋愛とかよりも)のだが

それはあるいは「女性が自分で女性であることへの不快感」

みたいなものの裏返しでは?と思ったりして

 

その直系の子孫としての川原泉が漫画の中で「自同律の不快」に

言及しているシーンがあり

 

・さてその自同律の不快とはそもそもなんの誰が言いだしたフレーズかといえば

埴谷雄高であり

0932夜 『不合理ゆえに吾信ず』 埴谷雄高 − 松岡正剛の千夜千冊

となるわけである

 

そもそもがそういう私「」と世界との関係とか

私「」と世界がつながりえないとか

そういう話は古今東西でかならずある時期に登場するような定番

であるもののさいきん21世紀では「もう古臭い」ような感じで

嫌われるような

そういう世相のような気もするのだが

そんなときに昭和の異物にならない遺物でもない宮崎駿

最新映画がこの夏公開されるのであった「君たちはどう生きるか

どういう話しなのかは宣伝が規制されておりなにも外に漏れて

こないから見るしかないのだが

これだってそういう「思春期から大人になるところで考えること」

の生きることそのもののそれではないのかね

たぶんそういうジャンルだと思うんだけど

そういうことを永遠に死ぬまで

老人になっても考えつづけてることもまたいいもんだと思うけどね

役に立つとかたたないとかどうでもいいんだよ