8月23日(水)

あさから橋本愛さんのTHE First Take”木綿のハンカチーフ”を

聴き 涙を流している

 

どうしても休日のような錯覚だが午後勤務であるし

休日ではない

(自分がそれを忘れそうでこわいってやつ)

 

ソーシャルキャピタル(きのうのつづき)

それこそオルガとミカヅキとアトラみたいなものなんだが

普通の市民生活ができなかった(孤児)ストリートチルドレン

が自分たちで集合して団結して組織して生き延びることが目的になった

のがかれらであって

 

普通の市民(どの国?)であれば

親がいて隣人がいて市民として小学校に通って・・・

などの経過を経て「他人もいる場所で育つ」ことで他人と

関わるってまわりの大人はどうやってんのか?

どういう結婚式とどういう葬式に出席しているのか?

葬式に「隣家の人てつだいにきてくれる」とはどういうことか?

友人からの助けとか?

 

などなど

 

それから公共たとえば行政とのつきあい税金のはらいかた

車のあつかい車の税金くるまのほけん無保険車はどうなるのかなど

 

社会保険料とは何でどうはらってそれはどうつかわれるのか

 

ぜんぶ「市民」としてそれを学ぶことが「市民」の一員であること

としての学習でありサバイバルでもある

 

それこそミカヅキたちはソーシャルキャピタルをすべて自分たちだけで

まかなう(まかない!)ことしかする方法がなかったのであるわ

 

クーデリアさんは「市民の子」として育って(まあただの市民ではなく裕福な市民だね)

ぜんぜんベースの思考が違うのである

 

ソーシャルキャピタルというのはそういうもので

人間関係ベースのものであることは確実で

 

昔(たとえば戦争中)であれば江端さんのようなかわりものは

難癖つけられて特高がきて連行されて拷問死だって十分ありえたのである

反抗的であるというだけの理由でね(個人であろうとしただけなのだが)

 

そういうことがソーシャルキャピタルにはベースとして混入されていると思うの

 

いっぽうでフォッグの行動モデルは

「実際に行動すること(それを経験すること)」

に至るまでにさまざまなファクターがあることを実感させてくれると

思うの

思考そして実践

実践に至る前の段階といいますか

学習もそうですけど

学習というかモデルとしての学習も

そうなんじゃないのかなえ

かなえだって

はは

金枝

叶える

適える

そうだね

みなみだって

みあみだっていい名前だよ!