00年代から2011あたり

人間なかなかずっと大学のあと同じ会社にいると

個人史なんてもんは「会社」の2文字だけで塗りつぶされるのかもしれないが

(そうじゃないかもしれないが・・子供の成長の区切りとかね・・)

 

オレ的には何年はどこにいて何年はここからここに引っ越してとか

転々としている御陰で区切りと記憶がある

さっきいっこまえの記事で

00年代とかはたぶん昼飯食う定食屋(西荻)とか

銭湯(西荻)とかで毎週のYJとかジャンプとか

読んでたんだろうなと書いているが多分それはあたっていて

なぜならお金がきつきつなので(専門学校に

親のお金で通っておりバイトはぎりぎりくらいのレベルであるから)

毎週雑誌を買うほどの余裕はなかったはずである

テレビで録画して楽しむこととか

あとはモ娘。のヲタ活とかありましたけど

ありましたね

ありました

それにだいぶお金使ったよ

 

まあとはいえそういうことでお金つかいつつ専門学校に

通うのが2004~2008であって

その間に深夜アニメもたくさん見た(BSじゃなくて東京の地上波で)し

いいとも増刊号もたくさん見たし(かなりオレのタモリ信仰に影響している)

音楽ライブもいったし

 

その前に古書店バイト時代もあるんだが

この古書店バイト時代がオレにとってはいまは謎だ

なぜ東京でバイト人間しててだいたいやろうと思えばなんでもできるのに

何もしてなかったみたいに過ぎていったのは

何もしたいことがなかったのか?>?

マジで?

と改めて思うのであった

そのころの日記とかとってあるはずだが

とってあるのかな

あるよな

でも読める字かどうかわかんないしな

 

まあ平成ですし

世間も停滞してるし

バイトで食っていければ食うていけるということが

それがオレにとってはそのままでいいんだという幻想につながった

んだと思うのよね

 

2008になってここで長野県に住むようになってからあらためて

ビビッドに「生きるために何が必要か」に

だいぶ考えとともに取り組むようになったんだと思うのよ

東京じゃないから娯楽ひとつとっても

労力をかける必要がある

テレ東系のアニメみるには群馬までいってワンセグでみるし

登山にはそれなりのグッズが必要だし

ヲタ活はいちいち車で東京または名古屋にいったりして大変で

それでひまわり動画とか見るようになったし(それこそ執念で

みている)

 

つくづく「職場での人間関係を重視してその地にとけこむその人間関係にとけこむ

努力とかまるでしない」人間であることがよくわかる

そういう選択はまるではじめから脳内に存在しないからである

 

まあそれならまわりから浮くのも当然ですよね=田舎民は

そういう「同化しようとしない奴」を嫌うからね

人は人

みたいにほっておこうという態度をとれるのは都会のエートスのある人

だけですよ

 

それでオレは登山趣味がだんだんエクストリームになったり海外旅行いってみたり

するわけですけど

 

そうこうしているうちに組織がやたら病気療養休職する人が出てきたり

東日本大震災がおきたりしてそこに救護派遣人員を出したりするわけですよ

(そういう病院でしたので)

世界は動いているしオレはそのままではいられないのである

あたりまえである

考えてみれば

いまは過去を俯瞰してみているからこう言えるのであって

当時がそれをわかるかってわかんねえよ

 

とか平日朝から考えましたねえ

 

あとでよみかえす

 

気がついたら50を過ぎていたというのは

本当に気がついたらそうなんだけどそうじゃない面もたくさんある

(忘れてしまうこと)

ので

書いて書いておかんとDetailがわかんなくなるんだよ