11月22日(水)

=^~について研究する

 

のではなくて

 

~について研究するための方法

方法について研究する方法(メタ)

 

に関心があって

「人間を研究するのではなくて 人間を研究するときにとる方法は

どのような方法があるか

人間のどの点を研究するのであるからどのような方法をとるのか」

に関心がある

 

学問ではなく「教育」に関心がある

 

『独学大全』のおもしろいところは「教育」ではなく「自分で自分を教育するにはどうすればいいのか?」に視点があるところ

 

鹿島茂も「正しく考える方法」を考えているが読書猿氏ほど「方法」に焦点をあててないのであたかも「家族形態論」に関心あるんだろみたいに見えてしまう

 

論文の書き方とか

リポートの書き方とか

研究法の研究とか

 

たとえば人間の「心理」を研究するときに

実験をするわけですが

その「実験」は本当に「心理」を研究するために最適の方法といえるのか??

という疑問がいつもある

 

しかし脳がよく間違えるとか簡単に騙されるとか

脳のもっている傾向を調べるのはいい方法があって好き

錯視は脳の視覚野がだまされやすいことを利用している

文章だって誤謬をまねきやすい文がある

広告の効果

サブリミナルまでいくと眉唾

 

Adoちゃんが小学校時代の「ちょうちょ結びができない」のトーク

やっていた(2023年11月20日放送ANN)

すごく「方法」が混乱してるしお母さんに教えてもらってても

実況をきいていると

そもそもが手順があることをなかなか理解しないというか

手順とかクソと思っている感じがするのである

オレ(あたし)がそれを理解して達成するとか無理と決めている

感じがするのである

なかなか説明をきこうとしない

きいて理解しようとしない

いわゆる「勉強」は知識体系の積み重ねと繰り返しのトレーニングなのだが

そこで「方法」について説明されたとしても説明のことば単語意味つらなりを

理解できなければわからないし

そもそもそうすると日本語話者として日本語の意味つらなりを理解するところから

はじめないといけない(それはそうだ)

あとそれが意味わかったとしても「わかりたくない」「わかるわけない」と

思っていたらそれは受け入れられないだろう

受け入れるかどうかの問題もある

これは心理なのかなんなのか

 

なにか閉じてそのままという「わかりたくない」の子は

確実にいると思うが

「おまえにはわからないのだ」と刷り込みされたのかもしれないし

どれにしても一人のせいとはいえないし自分のせいとも言えないのである

 

 

朝からそういうことを考えてましたね