午前

図書館Aにいき本を読みメモをとりかえした

 

岩波『私にとっての介護』

アンソロジーとしておそらく落第

なぜならテーマとの関連が広く取られ過ぎているので

内容がエッセイとしてどうしようもないバラバラになり

おまけに介護とは関係のないことまで書くやつもいる始末

とはいえ

内容に関してメモとる価値はもちろんあり

 

この人はこんなにもひどい傲慢さを持っていることを隠していないとか

この世における少数の部分に対して無意味な法があるとか

怒りとか悲しみを二人の間でどのように取り扱うかだ

 

オレがもっともこころに刻みこまれてしまったのは

永田(夫)と河野裕子(妻)の

ことを永田が書いた文章で

河野のほうがたぶん有名な歌人である

WIKIPEDIAには「戦後の女性短歌のトップランナー」とも

 

永田が言うのは言葉が二人の間で噛み合わないことと噛み合うこととについてである

 

乳がんを患った河野に対してはじめは永田はなるべく永田自身の不安を

河野に感じさせないようにふるまうべきと考えて行動していた(それには理由が

ある)が それを河野は「私がこのように病にくるしんで活動もままならないのに

夫は外で普通にくらしている」という怒りも混ざった感情としてうけとめて

(この書き方はオレが理解した内容なので本文引用ではないことに注意)

 

しかし年月たったあとの再発のときは永田が「もうだいじょうぶだろう」と

根拠なき安心をしていたため今度は永田が不安や悲しみなどを河野にぶつけるかたち

となり

河野はそれをかえって喜びとして受け止めていた(河野本人はとっくに死する道行を

こころでうけとめていたので本人のことの驚きや不安はもうそんなになかった)

と永田は書いている

 

特筆すべきはそのようなことは永田の想像に過ぎないとはいえないのであって

なぜならば河野は歌人なのでそれを表現する短歌をのこしているからである

 

河野と永田の話は側聞で雑誌とかあちこちでバラバラにみてはいたが

そもそもオレは河野の歌人としての作品たちにも接していないので

なにもいえないのだが永田の文章を読むと介護とはというよりも

死する人に対する家族とはと思ってしまうのである

 

まあオレも見た例が少ないのでなんともいえずオレはオレ自身のことを

体験するしかないのであろう(あらかじめ学習するなどはできないのである)

 

そういうことを考えた

本にはそのごく一部分であっても価値があるのでなんでも借りてみて吉

である

モブ・ノリオ先生のおかげである