PR誌「ちくま」

県立図書館から帰宅したらもう夕方で一日は終わりだよ

そのくらい遠いといえば遠いのです1日しごと

でも休日でそれはできる電車でもできる(いねむり)

 

県立ではかりるだけ

とはならず「ちくま」をみつけたので3月号よんで

やっぱり連載

最果タヒ先生のやつは「夢 のようなこと(現実ではないことだがそれでもことばであなたと他人と共有できるようになる可能性のあること)」についてだった

それが詩でもあるし散文だってっそうだ

そして都留先生のイカゲームカイジデスゲーム論は19回目になっており鉄骨渡りのときのカイジのそして地の文(マンガで地の文というのはおかしいがそうとしかいえない)での「他人へと呼びかけても一方通行で言葉はメッセージは伝わらないがしかしそれでもどこかで伝わることもあるしただ他人がそこにいることがわかるだけでもいい」という話これが

これだよ

投壜通信はもちろんそういうものだし

さらに昔の著作が現代の誰かに読ませる読む読むことで過去のしらない他人といまのオレとのあいだに回路が開通するという奇跡がおこるんだよ

このこと

宛先を指定しない郵便がなぜか他人に届くということがそのことなんだよカイジのところでも描かれていることなんだよ

最果先生の文でもそうなんだよそれは夢のような回路が共有されるって書いてあったもの

そのとおり

あとついったで誰かが回答していたが

なぜサブスクなどで昔からしっている映画とか音楽をきくよりも

テレビで放送している映画の状態でみたときのほうがおもしろく感じる

のだろう?という問いに

「テレビでは皆がしらない人だけどたくさんの人が同時にそれを観ていると知っているからおもしろさが大きくなるのだしラジオでの音楽もそうだよ」と

回答されていた

知らない人だけどそう回答していてついったのような匿名だれかの言葉が

誰かさらに遠くにも伝わってしまうことの面白さはここにあるんじゃないかな

って話しです(もちろんSNSは基本ゴミ捨て場であって害も大きすぎるんだけどね)

 

かように「ちくま」3月号はオレにとって大きいもので

高井ゆと里さんの文(巻末)もすごくおおきいプロテストだった

もうこの「ちくま」を買うしかないな

 

・・・むつかしいな(詳細はまた気が向いたら)