読書『世界共和国へ』

最終章をのこしているがとりま図書館にかえした

期限だからです

 

カントがそういったんだね

「国のなんか権能を世界共和国へと移譲することで」

まあオレはそこの章はまだ読んでいないんだけど

 

それでもそこまでの「国家が国家であろうとする運動」みたいなのが

気になった

つまり国家をたおしたり国家をなくしたりすることは容易なことでは

ないのである

 

産業資本主義を倒すのも容易ではないが

 

やはりこないだメモつくったのと同じく

キモとしては「都市におけるプロレタリアート

工場労働者であると同時に買い手である消費者であるということで

工場でつくった生産物を買う消費者でもあるからこその

価値が工場でつくる経費と労働者の賃金を越えて利益がでる(売れる)

のでこの資本主義はぐるぐるまわりつづける」ってとこがね

キモだと思うんだよね

 

それ以前は

「荘園」「賃金農奴」みたいなかんじの田舎における大衆は

そこで貨幣つかわず食べていきていたっていうから

都市もあったんだろうけどなんというかなんだったんだろうね

どうだろうね

うーん規模の問題じゃない?

 

あと気になったのは東欧やロシアにおける

絶対王政のあとに再び農奴になった(そこではつまりどのような

身分のものが農業やろうとも結果としての農業生産が大事なのであって

別に個人の自由とかの価値は重んじられていなかった・・・のか?)

という時代の後退後進みたいな話ね

 

IcHから直で南にいってスタバでさいごのぶん読んでいたが

あの共同で使用する客のための一枚板の大きい大テーブルで読んで

たらテーブルでかいと読書やりやすいな!

初めて思ったよ

 

あとは

「家族ー地域ー国家」みたいな集団の大きさの段階のこととか

 

あとは

それこそ「感情」の復権じゃないけど

悟性が感性と理性の橋渡しみたいな話とか

そういうのも出てくる

 

なんちゅうかね

柄谷的歴史観と人間観みたいなのの総ざらえみたいな感じがするわけよ

(そんなに柄谷のこと知らないけど)

 

まあでもそういうふうにあらゆるところへ言及する人こそが

なんちゅうかたとえば吉本隆明だってあらゆることに言及できただろうし

岸田秀があらゆることに本能こわれを言い出したのもそうだろうし

なんなら橋本治だってあらゆることに言及可能だったと思うのよ

それが知性ってもんの使い勝手のよさなんじゃないの

 

そういうタイプの知性が現代ではあまり人気がないのだとしても

そんな人気とかポピュラリティとかどうでもいいじゃんね

大事なのは考えることの頭のつくりあげかただよ

鍛えるというか頭はつかえばつかうほどイイんだから

言語だってたくさんの語彙が必要なんだよ

 

なんちゅうかこれまでのオレの読書の幅がいま試されているような

気がするんだよ(ここにきて)