めぐりあい 一段上(大きい)のジャンル

県立図書館の本そのへんで返して(メモはつくりましたよ)

それから床屋いってフロいったからおおむねよし

レイトショーは

もう今日はいろいろやったんでナシにしました

まあ映画はいいんだよ

どっかでめぐりあう

かもしれないから

 

メモは結局最終的には

小泉義之の政治論集成(全2冊)

と深澤英隆の著作と監修

に収斂したわけだが小泉のほうからいうと

近現代の哲学の人であるが結局形而上学を考えていると

現代の政治・倫理・差別・世相(の問題点)にふれざるを得ないわけで

とくにリー・エーデルマンの生殖未来主義への批判(からの異性愛批判)

について3つほどの論考で読んでいたが

わかったことは「考えなしに未来の子供のためにする生殖正義とかいってんじゃねえよ」ということだけだった

しかしたぶんなんかがあるんだよわかりにくいけど

まだオレには自分のことばで書けないけどね

 

こちらのブログにくわしいですぞえ

よりぬき小泉さん①『災厄と性愛』 - 汚辱に塗れた40年

 

 

深澤は「宗教学」の日本におけるなんだろう

そのプロパーがどう評価しているのかはしらんが

内容的に射程が広い本だった『啓蒙と霊性

結局宗教は謎があってそれは

なぜ現代のように「宗教のことをそのまま信じるような素朴な人は

いなくなった」はずなのに宗教は無くなって消えてということじゃなくて

生き延びているのか

というのが謎の中心だと思われる

それがキリスト教なのかどうかはさておいて

 

宗教そのものについて「なぜ宗教は人間の間に生じたのか」を問うのは

宗教学の課題ではないらしい

いうなれば「人類」というフィールドであれば人類のすることがいくつかあって

そのうちの一つが「宗教」であるからして人はなぜ宗教をはじめたのか

を問うことができる

宗教学という専門ジャンルは

宗教がそこにあることを存在の実在としての歴史にあっていまもある宗教を

扱っている

人類学だって「いまここに人類がいて昔も人類がいた」ことを基盤としてる

そうだね

 

だからもうひとつ大きいジャンルがあるとすれば「宇宙生命学」という

ジャンルがあったらそのうちの一つの例として地球なる星に存在する生命

という紹介文で人類(我々は我々を人類と呼ぶがかれらはなんという名前にする

のかな)を例のひとつとしてとりあげるのだろうね