~と信じているという(対象ではなく現象)

・すべては分けて考えるべきで

親にしても

生育(オレの)をしてくれた世話は恩に値すると思っておるし

しかしカネの使い方を知らないことは哀れと思っているし

いろいろである

健康概念についてとか経済の仕組みとかについて学究(ただしい過去の

学問業績に学ぶ)方面に眼が向かなくて大衆迎合本にいってしまうところとかは

しょうもないなあと思っている

(世の中には害があると益であるとそのどっちでもないがある)

・「よい」について考えていると

オレが「よい」を書くことあるいは

書いた結果それが「よい」になるかどうかは絶望的だなあとか

いったい「良い」はジャンルとか関係なくどういうところから来るのか>?とか

考えてしまうが

いまのところヒント的にそう思うのは

やはりもっとオレのオレ内を掘っていくしかない(なにもないとしても)

のか

と思うので底さらいのあたりでそういうものが眠っている

のではないかと信じる部分があって

というのはそのくらいはオレは人間の共通性とか価値の普遍性を信じて

いるので人間は誰でもその本人が自分の中を掘って底の底のほうにいけば

よいものがあるはずだと信じる

 

ので自分を掘るしかない(他人を掘るというのはあくまで信頼あってこそなので

オレにはそういう相手がいないのでできない)

 

ここに全部オレの仮説に「信じる」をあててみたが

 

それはオレがオレの認知としていま書いたようなことは

「そのとおり真実である」とは思わない(証明も根拠もない)が

しかし

「そうである(はずである)」と思っているのでこれは

妄想ともいうし

信念とも言える感じであるので

「|==~を信じる」という表現が一番近いのである

そうである))と信じるだけの確信がある

 

つまりエンタメとか純文とか私小説とかいろいろあろうが

つまりてつまるところはそのすべては作者の中にこれ

「これ」が「核」であるというものを探し当てる

ところがたぶんあるんじゃないかと思っており

 

なぜ村田沙耶香が作品のすべて(おそらくすべて)で

人間のくだらなさから人間の非人間の面というか

人間なんて存在してしまってごめんなさい

的なところにいつも行くのは

どうしてなのかなあ~とオレがそう考えてしまうことなど

 

その意味では(2つしかしらないけど)

とんかつQ&A と こちらあみ子で

どちらも「人間がふだんやっているような人間らしいとされる

コミュニケーションが絶対的になりたたないようなシチュ」を

執拗に書いているのではどうしてそれを書くことにしたのかなあ

という疑問もある

)(もちろん人間社会への批評としての小説という面があるし

おまえら人間のやってることなんてその程度のことなんだよ

実際は皮を剥けばもっとこのような非人間性があって人間を傷つけるとか

人間の表層にすぎない台本性とかありありでペラペラだったりするんだ

どうだ!)どうだ!みたいな感情はオレの感情なのでここから別なんだが

 

だからつまりオレがオレの中を掘るとしたら「~であると信じる」ような

ものが核としては何なのか

を探し当てて

それをぶっ壊す

ようなことがそれにあたるのではないか

 

と考えられます(何を書くのかという点で)