こないだから角幡さんが「もう犬ぞり旅やらないけど
ここまでへとへとになるまでこんな無意味なことをできたことが
素晴らしかった」(大意)
というつい^とをしてたその文面の意味内容について考えていた
無意味
である
それが大事なことだとんだお
別のついったからのひろいもの
なんの役にも立たない良いもの:哲学と芸術の価値について|obakeweb
ここに書かれているのは芸術を例にして
「良い」と「役にたつ」はまるで別のことである
ということで
「役に立つから良い」のではなく「ただ 良い」のである
つまり「良い」は独立している
「役に立つ」と無関係の位置にたつことができる
そういう「良い」があるのである
(もちろん「役に立ってたいへん良い」という関連性も他の場所にある)
そしてこの文書には「ミドルマーチ」が登場する
スーザン・ウルフの発言が引用される
その内容は「ミドルマーチ」が良いものであり
良いからこそ我々を利することがあるのであって
その逆ではない(利することがあるから良いということではない)
ということ
良いは先行しており
「利することのための道具ではない」ことを表している
文学のその「良い」はなにか(あらゆるなにか)のための道具ではない
のだ
そしてここには
帰結として
「なんの役にもたたない”良い”」がある
存在するのだ
と言っている
その”良い”は 役に立つ/役にたたない
から独立しているゆえに
役に立たないそして良いものがあるのだ
という
こと
だ
無意味ってのはそういうことなんじゃないかなと思っている
だからこそベネフィットだけがこの実社会の実利の価値であると
いって
金をつかって金をふやすことだけに専念する者がいると
オレはどうしてもそのときあんたは何がしたいんだとききたくなる
わけである
やつらは「金があることそのものに価値があるんだよ」と言うかもしれないが
オレにいわせれば金は道具であるが道具そのものにはなんの価値もないと
言うしかない
金があることそのものが価値があると明言するのがうちの親であるが
そのことについてオレは批判したいとは思わないが(おそらくは
成育歴にその原因があるから)
思わないが
わるいいみで無意味な行動だと思っている