結婚式

どんどん結婚式やら結婚式の二次会やらのお知らせがやってくる。なんだよこれ。
とはいえ。よく考えると当然で、いま、うちらのところというのは「専門学校卒業して社会人1年目」なのであった、たとえオレがいまや39のオッサンであっても。
そしていまどかどか結婚しているやつらというのはだいたい30前後の、20代中盤から後半、30ちょい、といった層なのであった(主に男)。専門学校で夜間部なのでこういう年齢がたくさんいるのである。そして前々から付き合ってたりしたら、やっと実業についたわけだからさっさと結婚したいのは道理だろう。したくてできるのならしない理由もない。そりゃそうだ。
 しかしここでオレの本音としては、わざわざ東京に日曜の夜に祝いにいくほどの義理があるのか?という気分である。本音としては。言えないけど。
 当然ここには「だってオレできないんだもん」という不貞腐れ・愚痴・ヤケっぱち、も入っているのである、そういう気分の場合にしわわせそうにしてる三次元のカップルなんてあんまり見たくないですよね、そうですよね。
 まったくもってもう最近は新書を一冊書きたい気分である。テーマ「結婚できない高年齢男性が魂のやすらぎを得るにはどうすればいいんですか」。
 いやこのテーマに共感する人がどのくらいいるだろうか。
 同じ悩みを持つ者は、ある程度は読むかもしれない。
 しかし、似たような悩みを持つ者は、かえって遠ざけるのではないだろうか。
 それはつまり「結婚したいのになんか○○○で、できていない女性」のみなさんだ。そういう皆さんはいまや誰かがつくった「婚活」なんて言葉でいろいろしているのかもしれないですがそういうことをしているのは女性だけですよ。はっきりいって。女性に向かって「あなたは、結婚できるだけの”   ”が無いのでできないのですよ」と言うと訴えられる。そして負ける。同じことを男性に言うのはさんざん言うくせにである。「ただしイケ面に限る」である。
 この問題を掘り下げていけば新書一冊分の分量は軽くできるのである。
 だがこれを実行するときに、ポイントは、いかにして「恩讐の彼方、怨嗟を乗り越えて」いけるか、だと思うのである。少しでもルサンチマンの匂いがしたならばその時点で新書は負けだと思うのである、それくらいならノンフィクションを銘打つか、あるいはフィクションを書いた方がよっぽどいい。それならもう、ねたみうらみそねみ悪口雑言罵倒語をてんこもりにしてしまいがちでありとめどない。
 新書を書くならあくまで「自分を冷静にみる」ことをしてから「自分のこと」を書かないといけないと思うのである。それでその言葉が他人に届けば勝ちである。多分売れる。
 
 いろいろネタを考えているのでキーボードを打つことで具体化してさいごにまとめる方式でひとつ。前々からしているような気もするが。まあこの日記のちょさっけんはたぶんオレにあるし。はてなにあるのかもしれないが。そこは売れそうになったら相談しよう、そうしよう。
 「結婚できない」という言葉で自己言及した場合に他人から受ける批判は「できないということはない」である。「選ばないだけだ」「わがまま」「ひとりよがり」最後のはちょっとちがうぞ。
 しかし現実にできていないことが、「できない」cannot を証明しているのではないかね。「できることすべて、すべての手を打った、その後でないと『できない』などと言ってはいけない」とでも言うのかね。残酷な言い方だ。そんなんしてぼろぼろになってしんでしまったらどうするのかね。にんげんには「心」というものがあってあんまりぼろになるとしんでしまうのだぞ。しんでしまうとはなさけない。まさに「情」のカケラもない言い方だ。
 
 こういう話は、もうそれこそ「匿名ダイアリー」でもどこでもネットの中でも外でもあきらかにうんざりするほどたくさんの言葉が生まれているのだと思うが、いまだにオレはそのどれを読んでも魂の平安を得られたことがないのである。よってもう自分で書くしかないのである。
 とか言って。とりあえず寒いので今日は寝る。