親からメールがくるので親にメールを返している。
父親である。70代半ば。ITリテラシーは高い方だ。理系だし。
そして父親に返信するときはいつもの調子ではなく畏まった調子になるのである。そのような調子を強いられることは他のシチュでは有り得ないので、貴重な機会ともいえる。
話題。
”遥香の日記”様より。
http://d.hatena.ne.jp/i-haruka/20111110
「新宿アパート火災:3日たっても死亡の4人身元確認できず」
さもありなん。
オレがいつも思うのはオレもこの≪死亡した方≫であったかもしれないという当事者意識である。
まあ、どうでもいいといえばどうでもいいのだが、
別に身元がわかってもわからなくても、そもそもはどうでもいいのではないか。
だって別にわからなければ困る人もちょっといるけど、その困り方は本当に困ったというものではなく、未処理が増えて困るなあくらいのものである。
現代日本に、人間同士の紐帯を求めるなんて、砂漠でオアシスを探すようなものである。
そのココロは、なかなか見つからなくて狂おしい、ってことである。
うまくない。
死ぬのはかえって幸福である。火事ということは、外的な要因で死ねたのだ。
とはいえ社会という視点で見ると、身元不確定人間がこのようにうようよいるような社会は「騒乱につながるカオティックな社会」ということで改善すべきものと映るのであろう。
別にいいのにねえ。
カオスの増大はたいした問題ではない。
人間は感情(それもすごくドメスティックな狭い範囲)に最も影響される。
卑近な物事。
それが本当にキモなのである。
カオスとか、べつに、ただの事象だしどうでもいい。
最近のヒットは「どうでもいい」である。オレはそれを信じていこうと思っている。