ぜんぜん唐突だが佐山雅弘を聴いている。(「Red zone」)
日本のピアニスト。ジャズ。フュージョン。その他。
面白い。
こういう系統を聴くようになったのは職場の知り合いのおかげである。寺久保エレナもこの人に教えてもらった。
でもなんかなんというか、クセみたいなものを感じるのである、クセ。
120%オレにぴったりくる音楽とはちょっと違う気がしている。
ではオレに120%ぴったりくるものはというと、やはり、何か、生活に染みつくような、記憶と過去にこびりついたような、切り離せないようなものだ。
とはいえ心地よさもある。
こういうボーカルの入っていない音楽は絵のようなものだと思う。
風景とか、スナップとか、あるときのある場所で、ある温度を持つある四角できりとった「scene」である。
それを眺めているかんじ。
音楽が絵であるというのは不思議なもので、実際そうなのでそうとしかいいようがない、
これがボーカルのある音楽になると言葉の意味が入ってくる、「たゆたう」とか「銀河」とか、ことばをきくとことばのイメージが頭で再生される。
何の話か。今日は昼間に、月曜Junk伊集院のラジオを再生して聴いていたのである、今週はとくに冴えていたトーク、知床の秋に決まってんだろ、オレの下半身がマスでそれを狙う熊がいるんだよ!のあたり、風景。
ローマ人にしてもトガを着て足をドクターフィッシュにつつかせているんだよ。
聴いた人はわかる。
そういう妄想爆発のときにでも映像は頭に浮かんでいるのだと言う、伊集院氏は。それがことばになってラジオに載るからオレたちはそのイメージを共有できる。
ボーカルのある歌というのはそういうもので言葉がつくるイメージを音楽にのっけているんである。銀河をたゆたう。
何をオレが思いうかべているかというと、ブレンパワードである。サントラに入っている「愛の輪郭(フィールド)」。ものすごくいい歌。哀しくて遠いうた。
そういう意味ではサントラというのはまったくもって絵をささえておる音楽たちだ。