ひる

たくさんのラジオ。
セッション22.
チキさん休みで神保さん代打、ミッドナイトにやってきた萩原さんがディランの話だった。そして良い音源。しみる声とハーモニカ。
ジェーン・スー相談は踊る。美人アナ。小林麻耶。美人アナでも本人的にはそれはかえって苦難なのかもしれない。あくまでも問題とは本人の問題なのだ。母から可愛いと言われなかったから、誰から可愛いと言われようともそんな言葉は受け入れられない。頑なに。
いや、問題みたいのがそれだけって意味じゃなくて。
本人の価値は本人には分からず、他人がそれを見てそれを決める、だから本人は
ただ自分のベストを尽くせばいいんだが、しかし、他人が評価をオレに告げにやってきたとしたらそれには反応する/しない、どっちかが必要だ。無視するのか反応するのか。オレはその評価が「このままではダメだ」のメッセージだと受け止めるのか。しんどいのか。
全く他人に囲まれた人生だ。人間はみんなそうなのだが。
あとで書く斎藤晴彦さんだって、独り者であっても他人に囲まれていたからこそ死の一報がまわって来るんである。
 
雑誌。時間やりくりして盛岡で乗り換え隙間でジュンク堂書店いって参考書と本の雑誌買う。斎藤晴彦さんの死を語る津野さん、知人恩人の事故死を語る森山さん。確かに、本の雑誌はおっさんおばさん中高年のためのものになってきている。。だろう。そもそも雑誌なんて紙メディア買うのは中高年以上だ。
 大切な他人って誰だろう。
 アパートの隣の人の顔も知らんのだ。そんな生活をもう25年くらいしている。どこかに定着漂着するようなことが今後のオレの人生で果たしてあり得るのだろうか。あり得ないだろうか。
 
したいことをしたいのなら計画。
どうでもいいなら流れていけばええやん。
ただ、それやってると振り返って10年目で何の成果もなくて阿呆のままという恥ずかしいの人生だけ残るのだが、オレがあんまり阿呆のままだとそれは社会の迷惑だっていう視点もあり。オレが、社会に何を返せるかって考えないといかんのやもしれず。どこかで。
 まあそれは日々の仕事でしっかりやれって話だったんだけど。しっかりできてなくて叱咤されてるんだけど。いつも。