まあしかし広い意味では
文學を読むのも映画をみるのも
他人様の脳の延長を見せてもらうというか
観ろ!というものを見るというか
SNSに書かれたものをみるのも
そういう「作品として売る市場に乗せることのできたもの」をみるのも
見る(よむ)点ではかわりはないが
まあたしかに牧村さんの言うとおり現代は史上かつてないほど
文字を
ネット上その他でたくさん見るようになった時代
https://web.archive.org/web/20220531033934/https://cakes.mu/posts/35569
つまり玉石混交ということだ
現実ではというか
人間と人間が顔を合わせる場所では
もう話をすることなど稀のまた稀である
おそらくは人生でいちばん他人様と対面で話をする時期は
学校というものがあったり
現実の職場というものに通って
毎日人間相手のサービスをしたり
授業をうけたり
サークルで活動したり
する
そういう時期だったのでありましょうて
過ぎてみるとそうだねえよくそんなストレスフルなものを
経験というかやってこれたんだねえと思う次第
もう無理です
別にいまは引きこもりではないものの
これだけ日常の「日常報告」を文字でしかしないようになると
口のなかから声を出して音声が他人にむけて喋ることが
稀になるとたぶん喉の機能とか低下してるんじゃねえの>>?
とか思う次第
なんでも低下するのは嫌なのでせめて車の中で歌をうたうことに
したらええじゃんね
他人様へむけて音声言語を喋るのはもう機会もなく
諦めである
そんな贅沢な機会はもうありません
かつてあったのだからいいではないか
はじめからなにもなくあとにもなにもないよりは