日曜日3 鈍感か認知の意図的な采配か

こんなバカみたいな人間社会なので

わざと起きていることを認識しないなどは茶飯事であり

それを無視することで生きていけるなんてのはしょっちゅうで

 

フィクションでいえば

オルフェンズでクーデリアが少女のころに貧民街で

すわりこんでいる貧民の少女にアメをあげようとして

ひとときの施しは・・・とフミタンに注意されたにも関わらず

アメをGIVEしにいったらとなりから違うこどももでてきてわらわらと

ついにオッサン浮浪者がでてきてオレにもアメくれと

いうのでこわくなって拒否と逃亡してしまったクーデリアであった

 

それがおそらくは「そもそも施しなどせずそこはなにもしないほうが」

まだマシだったというだけのお話

もし施しをしたくなったのだとしても違う方法でやるしかなかったのである

だってクーデリアはきたないオッサンは拒否と排除しようとしたわけだからね

 

それは

まあ差別的な認識のことでもあるのだがここでは認識を

意図的に鈍感にすることもあるということで

 

ここでイジメとかもっといえば傷害を意図的に行う奴

のことにいくと問題はさらにこじれるのであった

(いまちょうとNOTEで渡辺電機の子育てマンガがそういうのに

はいってきていてねえ(こまる)