マンガの謎的な爆発の魅力

マンガのパワーは謎でありオレにとっては謎だからこそ

やめられない魅力でもある

 

その謎はオレにとっては原点が5つくらいあることにきがついた

1 タッチにおける「南ちゃんは なぜ突然あのような(キス)行動を

発現させたのか?」

参考:

あだち充『タッチ』を精読する。浅倉南はほんとうは何を考えていたのか。 - Something Orange

 

2 マカロニほうれん荘などの少年チャンピオンの黄金時代のギャグ漫画のくるった様子はなぜあそこだけであんなに爆発した時代があったのか?というかマカロニほうれん荘のギャグの他に類をみない特徴とは?

 

3 はみだしっ子シリーズのあの暗さと西洋と現代と恋愛要素のまるでない様子はどうして堂々とメジャー少女マンガ誌で人気を得たのか?

 

4 ドカベンが柔道マンガだった時代も好きなんだがあんなに途中で大胆な変更をしていいものか?というかあの時代のドカベンにおける「貧困と関西弁とやくざ的な世界の感覚(山田のじいちゃんも任侠を感じさせる)」は同じく水島マンガでいえばあぶさんにおける暗さ(夜の街と女と)ともつながるし銭っ子もそうだしそうなるとジョージ秋山になってくるし貧困と孤児と金への執着執念みたいなテーマが少年マンガに堂々と・・・

 

5 結局オレの原点はそこで暴力みたいなマンガがたくさんあったというところにくるわけだがそれはあばしり一家でもイヤハヤ南友でもそうだし拷問とかスカトロとかが混ざってくる世界と血とか油フロとか謎のものでもありそしてどおくまん「暴力大将」的なチョンワチョンワでありながら完全に殺し合いでもある世界となっていく感じのあのつまり興奮にすべてを捧げるような感じ・・・

 

結局多様性というのはなんでもありと認めるからこそあるからであって

なにかこれだけはダメとかいったらなにもかもダメになるにきまっているのであっておよそ表現において禁止されるべきものはなにもないことになってしまう

三条友美のエロ漫画とか本当に匂いと汚さが伝わってくるしさあ

そんなもんとかさあ

記憶にのこってしまうに決まってるじゃんね