幸せである条件

いったい何をもってしわわせか

幸せか

といえばオレは十分いま幸せだけどね

 

夢とその実現は

幸せとは何の関係もないのである

 

幸せとはオレにとっては

・屋根があり(雨や風をふせぐことができる窓もある)

・夜に布団で寝ることができて(あたたかい)(寒くない)

・空腹に苛まされる(さいなまされる)ことがなく(空腹で眠れないこと)

ことです

いまそれは実現しているので幸せでね

 

屋根があってあたたかくお腹適度に満たされて寝る

これ以上の幸せとか無いじゃん????

 

もってる現金がいくらとか関係ないじゃん(金があっても屋根がない

ということもあるだろう)

 

それとは別にオレは夢とその実現に向かっているので

賞をとって創作物で収入を得たいですね

それは自尊心のほうの問題じゃん

幸せは自尊心みたされみたされずとは関係なく存在する

とオレは考えるのであった

 

自尊心のほうがはるかに難しいよ

捨てろとかいう人もいるし

平均より自分はアホだと思えという人もいるし

夢が努力によってある程度実現して他人がそれを認めてくれると

いいということもあるが

他人が誰もそこに存在しなくてもオレは幸せになりたいので

条件に他人をつけなかった

他人がいるいないによって幸せが左右されるなんてそれはひとりでは

幸せは実現できないってことじゃんそんなのやだね

 

なんでこういうのを書いているかというと最近積ん読本を再開したりしてて

「人間は生きていることが長いほうが幸福なのか?」とか

そういうテーゼというか疑問が書いてあって

疑問というか問を立てるだな

長いほうが「絶対幸福」とはいいきれないわけで

長い苦痛が長く続くかもしれないからだ

 

オレはできるだけ苦痛はないほうがいいが

だんだん「いつも内臓が快適で便秘も下痢もしていない」とか

「関節にどこも痛みがない」とか

「鼻腔に鼻汁が詰まりかかっている不快感がない」とか

そういう理想はだんだん加齢によっても実現できなくなってきているが

それは仕方がないので諦める部分はある

 

今日はフロはいって鼻のつまりが通るようになる(一瞬)感覚も味わったしね

 

だから投信の相場が上がったり下がったりすることが自分の幸せに

影響するだなんてそんなことがあったらあり得ない!

そんな事態を許容するような脳はないね

投信の成績が幸せにかかわるだなんてそんな下賤な話は聞いたことがない

遠くに離しておけ

隔離しておけ

金があるかないか多いか少ないかと幸せはまるで関係がない

 

金と関係があるのは「便利」であって

 

快適さによる幸せはある程度の金が必要(屋根のある家を保持する金)

ではあるが金が多ければより大きく幸せなんてことがあるわけないじゃんアホか

 

快適さは上限があってある程度より上はもうなくて上限からプラトーなんだよ

だから金がたくさんあっても快適さはもう変わらないのである

 

補聴器だって20マン~100マンと差があったとしても

たぶん快適さの上限は20マンくらいでそこから上は変わらないと思うよ(仮説)

 

それは難聴になってからじゃないとわからないかな^^

わからないかどうかわかりません