映画「JULLAY 群青のラダック」について

とてもいい

とてもいい

 

みな全員仕事がある

(男性が登場少なかったのは気になったが)

 

とてもいいんだ

帰宅したら

いっぱい書くよ

 

(後記)

時間がたちました

 

・オレがこの映画の好きなところは

ラダックの

空が青くて

ばあさんが

フィルムの中では「異国からの人間にも優しい」いい人で

ばあさんは自分のすべきことを分かっていて知識があり知恵もあるし

動物を家畜として飼って野菜をつくって

水路を管理してバターをつくる

ばあさんには私利私欲というものが感じられず

家族に友愛で

スマホをさわらず

買い物が好きなかんじもなく

しかしゲストハウスの管理はしているのであった’そこはよくわからんけど

 

ばあさんの部以外にも

もっと山の上のほうの一家は家族が基本4人で

ここにもばあさんはいるが

基本は母娘父で

娘4歳がかしこいかわいさで

母は外に働きにいき(現金収入?)

父はロバをつれて大麦の育て収穫運ぶ干すで大忙し

ロバがよかったなあ

はたらくロバ

本当にたくさんの大麦を積んでその背に

 

ロバのことをツイッタですこし見るようになっていたから

 

ラダックのことは大昔にクロネコヤマトにいたときに

バイト仲間の男がインド好き男でヨーガで修行だったし

 

なんだろう

 

おそらくは「オレのみたくないものもあるだろう」と

思うけどそれは

それはこのフィルムのどこにもうつっていなかったのさ

 

それこそオレは最近ずっと「みたくないもの」「表現の中でそれは

描かれていなかったもの」「オミットしてるもの」について考えているのだが

すくなくとも

このフィルムでのラダックの人たちはみな

農業中心の食事自炊のつまりはほぼ現金つかわなくても暮らせるような暮らしに

みえるのさ

「昔ながらの」って言葉はキラいだが

 

しかし実際にラダックのあんな山ん中にくらしていたら

そこにあるものだけで暮らしていくしかないだろ

週に一回まちにおりて買い物するとかそんな交通の

便なんてねえんだから

(あるにしてもガソリン代の現金収入をどうやって稼いで?)

 

だからそのへんはわからんが

ロバと牛と羊とヤギで

野菜と大麦とくだもので

なんとかとれたもの加工するもので食って生き延びていくしかないわけで

循環している(家畜は子を産む)(家畜のうち肉にする選択するものもあるだろ)

(麦などは翌年の種まき分をとっておけば可能)(野菜は>? 種とりして?)

循環させてやっていくしかないだろ

 

それこそヴィンランドに入植して生き延びていくようなトルフィンたち

みたいなもんで

買い物とか現金とかまるでない世界だったんだからさ

 

たぶんね

 

そういう世界には「個人の欲」とか「あれほしいこれほしい」とか

ないわけで

ないよな

ないと思うけど

 

学問とかないけど

 

ないなあ

 

スマホがあったから外の情報がくるといえばくるとは思うんだが

電話テレビ電話にしかつかっていなければそうでもないか

(どうも日本人以外のすべての民はスマホとかを電話して

家族同士でつねにしゃべる仲間で常に喋るのが当たり前らしいぞ)

(とげったーに書いてあった)

(とくにインドパキスタン中東系の男たちがなぜああもいつも

だれかとのべつまくなしに電話で喋っているのかって話だった)

(そういう習慣でちょっとでもさみしくなると誰かと話すのが当たり前なんだって

さ)

 

とにかくラダックは行ってみるしかないと思うの

空の色は

映画だけではわからないのだから