2月22日(木)

AM5には起きているわけですが

強めの雨の音がするわけで

 

よくふるねえ~

 (もし一旦こやみになるとしてもそれは明日の金曜の夜だっていうから

ずうううっとこっから丸2日くらいはふりっぱなしでしかもそのあと土日も

ふるんだよ!)

車でも外に出たくない気分だね

今週はYJがイリオスもジャンケットも休だとわかっているので

買う気がおきないが

アイスホッケーの狂犬とキングダムと4軍野球あたりは

ちょっと気になるが結局これ「スポーツ」「戦争」「スポーツ」なんだよな

YJって結局そうじゃんね

あとは「サバイバル戦闘訓練」とか「マルチ商法」とかね

YJはいつも世間をみている ある意味ダサダサである

でも推しの子もあったなあ

あるいみどうだろうストーリーとしてはもうクライマックスをこえてしまって

いるようにも見えるのだが

だって犯人の心情が映画づくりで明らかになるかならんかって

なんかね

犯人が確定してからこっちどうもあっさりというか

じゃあもういいです

って思ったりして

読者はざんこくだ

 

というかマンガの「連載」形式がなあ

 

雨音ますます激しいなあ

 

ひきこもりであっても窓のある部屋からは外の音はきこえるんだよ

ふつうに

 

窓のない部屋だと人間はおかしくなると思うけどどう?

洞窟の中みたいな?

光のない?

ないとそれもおかしくなるのでは?

 

今日は

夕方にテレビをみるっていうタスクがあるよ

(がっかりしても大丈夫な準備をしておいてね!)

 

後記

雨が延々続くとわかったら逆に行動するしかない気分になり(幽閉感を

振り払いたい)YJと週刊文春かってきた

文春は宇垣総裁週だしライザップ瀬戸の回でもあったのでまあまあいいじゃんとなり

YJはリアル(車いすバスケ)がのってる号だったのでこれもよかった

 

ライザップ瀬戸の経営者手腕とか人格とかはどうでもよくて

本を紹介するその文章が面白いというだけのことである

人間の「視点や視覚や観点や立ち位置って本当にいろいろだな~~」って

思うのである

オレは滅多にそういうライザップ瀬戸とかみたいなやつと話するとか

そういうやつの文章を読むとかないからね

そこがおもしろい

 

勿論

オレは心の中で(底で ではなく 全体として)小説を読めないような

やつを軽蔑しているのだが

 

それはどうなのかという問題もあって

 

「小説つまりフィクションの物語」を理解する回路を育てるための

機会がなかった

教えてくれる人がいなかった

教えてくれるような作品に出会わなかった

のであるとする説もある(他人が原因)

 

あるいはそういう本に出会ったものの辛抱して読み進めるだけの

集中力もあきらめないレジリエンスもなかったとしたら

それはそのように育てられてしまった(そういう親だったとか)

のがわるいのであって本人のせいではない

あるいは家に一冊も本がない家だったとかね

 

という

ことが

あったとしてもやはり小説を理解できないようなやつをオレは軽蔑

したいと思う

 

(注・ライザップ瀬戸が小説をたのしんでいるのか否かはオレはしらない)

 

オレが誰を軽蔑しようとオレの自由だ

オレのココロの中の話

 

これは「オレがどういう性的魅力のあらわれ方を好むか」の問題とも同じ

耳を刺激されたり耳を刺激されている人を見たりすると興奮する

のはオレの独自の嗜好であって(耳に魅力を見出すのは万人の嗜好ではない)

それがいいとかわるいとかの問題ではなくオレの心の問題なので

それをとりしまられても困るねっていうことだ

とりしまりたいとしてもどうとりしまるんだかね

「もうしません」ってオレが言えばいいわけ?それが真正そう思って発言している

かどうかなんてわかんないぜ?それがココロの中の事だ

 

だからオレが軽蔑しようと尊敬しようとそれはおまえらからは見えない場所の

ことである

それが良心だろうと悪罵だろうと同じことだす