意図なき人間の生には価値がない
とする仮説を検証しようってことです
普通はないですよね
意図なんて
唯一の意図をもってはじめから歩む人間の幼児など気持ちわるいだけです
それでもオレは意図があったほうが価値が高いと信じていたいんだがなあ
どうでしょう
オレは今日送信したばっかのやつでそれについて登場人物に
語らせているのだが
そいつらによれば「あるのもいいが なくても別にかまわない」という
結論だった
意図 つまり人生の目的(Purpose of LIFE)
である
そんなものはなくていいんだよ
それより結婚できるかできないかとか
お金があるかないかとか
いま暖かいか冷たいか空腹か満腹かのほうが重要じゃないですかあ
そうやってレイヤの違ういろんなことを一気にならべてみても
なににもならない
意味がない
結婚できるかできないかは「結婚できたときにはじめて結婚できる能力があった」と認められるのであってそれ以外のすべては「結婚できる能力ない人間だ」とする場合にそこにおかしな矛盾的なことが現れる
できるできないは「能力 可否」の問題であってそれは試行して2mのバーを飛び越えることができれば「高跳び2mの能力がある」といえるが
結婚は対象の人が不特定多数の意志からなる曖昧集団なのでそこでできるできないを経験で判断されてもちっとも「できる/できない」に線を引いたことにならない
現代ではますます結婚は「したくない」」「したい」の問題である
だからコドモがますますうまれなくなるんだよ
意図||ここでは結婚「したい」意図があればするできるようになるように
人間はEffortを払うであろうPAY
だからやっぱり意図があったほうがいいんじゃないかなあ
いまチェット・ベイカーききながらクールな小説を読んでいますが
いいね
ベイカーはとてもいい
いいかげんな感じがする
ヨレヨレの人生て感じがする
ベイカーはヘロイン野郎だったこともあるし最終的にはよくわからん転落死である
でも音楽はピカっと歴史にのこっている)トランペットも
そして唄も
従軍してWW2後の欧州にいったりいろいろあって
いろいろあったんね~
意図なきものを意図なきが故に価値が低いなどとはいえないね
まあでも意図なき達成もまたありえないと思うのだが
(後記
ついったみてたら
「若い意欲ある学問の徒とか芸術の徒を
失望無力化させるのはかんたんで
どうしてあなたは?なぜ_?それをやろうと?その意図は?
意義は?理由は? などと延々繰り返し問い詰めていくと
がっかりしちゃっておわるんだってさ
これでわかるようにあくまで意図についてそれを
認識して問い直すのは「 自分 」から「 自分 」に向けてのこと
だけだというのがオレのこころの言うことですね
他人なんざあ関係ねえんだよここでは)