読書『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』

『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』

早川から出てる

アメリカ人作家の小説

ゲームをつくる3人の話

3人か

2人か

2人かもなあ

 

小説だからいろいろ起こる事故殺人別れ恋愛束縛嫉妬

それから何とも言い難い感情

長い時間が経過する物語

しかし根幹にあるのは「ゲーム」である

コンピューターゲーム

 

なんちゅうかドンキーコングとかマリオとか

アーケードから家庭用へそしてPCへ

ゲームのすすみかた

そしてそれは「グラフィックの進歩」の方向にいくだけではなく

そうとはいえないほうこうにもすすんだ

なぜ人は「牧場物語」にひきこまれるのか?

なぜオレはいまでも「ポケ森」をプレーしつづけるのか?

 

ゲームにおける世界展開は彼女と彼の世界彷徨とある意味ではシンクロし

ある意味ではまるで関係なく進む

 

とにかくオレは号泣したし読みながら泣き

涙で目がかすんで読書をすすませるのが大変だった

 

誰がわるいわけでもないわけではなく悪いやつはいる

 

しかしそれを恨んでも死んだ人はかえってこない

 

よくわからないが

人間は若いときとその後でまるで違う人間のようにふるまうこともあれば

全く変わらないということもある

 

なんというか

人間はそれでも変化する

 

変化する彼女そして彼が過去の自分をみたりふりかえったり

する

そのこと自体が何か「これは後悔ではあるがそれ以外のことはできなかった」と

思うこともあるが

全体としてどんなに互いを嫌いに~嫌いではなく~嫌いじゃないならなんなんだ

とにかく誰かがそこに

ゲームをつくる人にとっては「ゲームをする人」がそこにいる

いるからそのゲームをつくる

他人

他者がかならずそこにいる

 

他者がいて

どうしても社会があって

離れて過ごしていたいと思っても

社会の一部としてやっていかざるをえないときがある

 

それでもゲームの中で過ごす時間は

まったく社会とは別のきりはなされた

倫理とかおかまいなしで

ヒロイックだったり

なにかこの世では絶対に味わえない感覚をあじわうこと

詩を

過去の英国の世界にひたること

葛藤

選ぶこと選んだために世界の様相が変わることを体験すること

実人生でそこまでおおきく変わるのは困るが

これはゲームだ

ゲームでは

何度でも死ねる

人間は一回しんだらそこでおわりだ

 

あとこの小説はいままでオレが読んだ中でいちばん幻肢痛について

リアルな体験をしている主人公を描いている

 

ゲームをつくるーゼロからつくることにプログラミング以外の何の要素が必要だったかも書いてある心理学も演劇も戯曲も歴史もデザインも

世界全体を描くんならありとあらゆる背景が必要なんだよ

それは

小説も

そうだね

世界全体を

 

とにかく泣いたたくさん泣いた

500日のサマーみたいな話だったらいやだなと思いながら読んでいて

そうはならなかったので本当によかった(サマーは あれほど苦い映画もないって

くらいに苦いものだったから)