映画「ホールドオーバーズ」について

監督・アレキサンダー・ペイン

 

なんしろ主要配役3人のうち

「クリスマス居残り高校生男子」が

粗品霜降り明星)にそっくりでのう

それがずっと気になっておりまして

 

まあ宇多丸が「生涯ベストランキングにはいる」とまで言う

映画ですから

文句のつけようがないというか

まあ宇多丸氏はたぶんに個人的な感慨も含んでいると思うのよね

 

オレは自分の生涯ベストランキング入りしている「ブレックファスト・クラブ」との共通点を感じておもいいるわけだが

 

まあ違うといえば違うけど「誰もいないがらんとした学校で」というのが

同じである

 

そして最後が「学校から出ていく」のもそうだね

またあたらしい日々がそこからはじまるのである

 

だからストーリーとかそういうことではなく

宇多丸氏によれば「人生はなんとかやっていくことを自分の力で

やっていくしかないのであって

他人がなんか言うのは全然関係ない」のであるから

それはオレもそう思います

 

どんなハンデがあっても不運があってもそれはかわらぬことだろうて

 

と思うのです

 

個人的には冬のニューイングランド地方は大好きで

でもボストンがあまりボストン感がなかったかも?

 

まあ1970年のボストンとかその当時のテレビとか)あの新婚

夫婦をまねいて互いの好みとか当てさせる番組は実在したんだね?たぶんね?

 

なんというかね

 

オレは映画そのものについて何もここに書いていないが

まあいいじゃんべつに書かなくても調べたらいいじゃん

 

なんか最近どうもよく思いだすのが「マンチェスター・バイ・ザ・シー」の

ことを想いだしていて

それは「愚かさ」についての映画ではあるが

愚かさにもいろいろあるのである

 

というか我々のうちで愚かではない者などいるのだろうか

 

なんちゅうか

 

この映画)ホールドオーバーズ

において

先生と生徒はそれぞれどちらも「嫌われ者」であって

そのことを互いに言葉でつきつける

のである

周囲とうまくいかないうまくいくようには行動しない

 

それは別にそれしかそのように行動するしかないというかれらの

それぞれの個性であるというか人間の在り方というか

それ以外の妥協とかできないのである

ウソもつくのである

それはしょうがないじゃんねえ

べつに聖人としてまつられたいわけじゃないし

 

ベトナムで息子をなくした母は別に母がわるいことをしたわけではないが

カネがなかったから戦争にいったんいってから息子は

復員軍人なんとか手当で大学にいくつもりがベトナム

しんでしまって

その息子を高校のクリスマスミサで追悼しているんだが

ミサがまたひどいミサだった

なんかぜんぜんちゃんと追悼している感じがなかった

演出意図もそうだと思うけど

 

ベトナムで死ぬことそのものはもう当時のアメリカでは

栄誉でも名誉でもなかったんだと思う

 

先生が古代ギリシアローマが好きなわけである

マルクス・アウレリウス「自省録」をさして

キリスト教にまみれてなくて最高」っていうんだから

 

まあまだ2世紀だったからねえ

 

ともかくいい映画だった

オレがここに書いたことはなにも関係なく好い映画だった

オレはなんとなく

なんとなく敵から友愛関係へと徐々に変転していくような

映画は大好きだし

それこそ「ブレックファスト・クラブ」も

休日強制呼び出しをうけた学生たちは互いに敵対していた

のであるからし

 

しかしあのパーティーのシーンはつらかったね

ああ

アメリカン映画の「パーティーシーン」が

つらくなかったことなど

かつてなかった