おそらく台湾において21世紀の民主主義の
「ある理想の形(暴力をともなわない)」が実現一部
しているという話になってくるのだがそこに
は
かつてアーレントが述べた「人間の条件」が関わっているということ
でもある
話である
台湾 オードリー・タン前デジタル担当相 単独インタビュー「誰ひとり取り残さない」
・デジタル技術だけではなくもっと古典的なものであっても技術は公正
を可能にする助けになる(選挙開票における3つの角度からのビデオ映像)
そこで可能になった透明性に反対するものは誰もいない(かくしたいなどと
いう欲はあからさまに反対方向だと誰にでもわかるからである)
多元性Pluralityは
「意見の違う複数人間が暴力に訴えるのではなく」ということを
スローガンにしているが
「誰ひとりとりのこさない」が具体的に何を意味するのかはこれからの
オレの課題である(それを具体的に可能であると信じることができるまでの
みちのり)
オレはいまのところ「組織は基本それをつくることが悪につながるほうが
多すぎて
150人こえるようなあるいは
みたいな大規模組織になればなるほどもう人間にはムリだ」と考えて
いるので(150人というのはダンバー数である)
なんというかいまだに「少数意見」の「尊重」は
具体的アクションとして何を意味しているのかわからないので
ある
でもタンの言ってることがまちがっていないのは直感でそう思うよ