6月10日(月)

無意味とか価値とかうるせえなとか思うことがあり

 

そんな尺度ぽいものとか0か1かとか

どうでもいいじゃん

投げ返して捨てて歩きだしてうしろに置き去りたい

いつもどこかへ去っていきたい

 

と思うのである

 

『ロバのスーコと旅をする』

をやっとかった(書店においての販路が出版社直販だったー河出はそれしてるんだ)

 

無意味とか無駄とか役に立たない方が素晴らしいと

かねがね思っているが

こくこうして形になってあらわれるとまたいっそう

感慨ふかい(他人様の旅だけど)

 

それこそ理由は「それをしたいから」だけであって

行動そのものがその動機であるというタイプ

 

なんでもそうだと思うんだけど

根拠は大事だが

こと本人のその行動については何なぜそれをしたいか

考えてそれが形になってから行動するなんてことは

おそらくそんな悠長なことをやっていないのがリアル人間であって

 

それが衝動

 

だと思うんだけどね

 

それこそユーフォの3-10で田中センパイが久美子に

「久美子ちゃんは言いたいことを言って」

とつきつけるのであるが

それは久美子がそれを言うのはなにも考えてから話してるのではなく

考えるまえに(あるいは同時に)話す

外に出しているのであって

みんながどうこうとか これならまとまるとか

そんな理由とか構造とか関係ねえよってくらい

早い

 

早さももちろん大事だと思うのし

 

そういう意味ではぜんぶ「決める」のは未来について

不確定であることを知ってるからわかんないからそれに向かって

くらいところに進む(じっさいは迷うとかの以前に未来はぜんぶ暗い)

ことをそうするときめることが行動で

行動はぜんぶそうだどうなるか確証ある場合なんてそっちのほうが

すくない

 

みたいなことを考えたが

無意味である行動なおさらそれは無意味によって

「確証もないのに」と他人がいうし

「それをしてどうなる」とかいうんだが

それをしてなにもなく無意味だ だからこそそれをするのだと

言明したらそれはもう理屈じゃないわけじゃん

 

でも決めるじゃんねやる人はみんなそれをきめるし

 

そういう意味では勝算がなにもないが

ないけどロングでみれば買い切りの本を棚に並べておくのは

ぜったいいつか売れるのである(どんな本でもかならずいつか

売れるというのはオレがあの古書店バイトで

得た真理の実績である)

ただそれがいつなのか誰にもわからないだけだす

 

だからいいじゃんねえ

いつ売れるかわかってたらみんな株とか買ってしまうじゃんね

 

だから無意味感とか

いっそ金をドブに捨てる感とか

テナントかりる金が大きいとか

土地を買ってしまうとか

そういうのって未来ギャンブルなわけでそうでもないと

金がなくなるなんてことないじゃん

一生金がなくならないなんてそんな退屈なことに耐えられない

 

かもしれない

 

世界を変えるので未来にかける

みたいな