昨日トンガで火山噴火がありまして
そしてよくわからんが夜になって
日本近海にも津波情報がきたんです
通常の津波(トンガから順々にくる)ではなくて
とつぜん
離散で
日本近海の潮位変化があらわれたいうて気象庁も混乱している
まあそれで今朝は
日曜のたのしみ「音楽の泉」も休止ですよ
自然の天変地異にはかないません
我々は地震がもっとも我々の生活を一変させることをしっているのだが
それはスケールの問題で
一人が殺されても一人の人生とその家族のその友人の人生だけみたいな
しかし地震は一気に大量の(10万人くらいのオーダーで)人間の生活の
運命を変えてしまう
だからモニュメンタルである(戦争と同じ)のだが
価値でいえばそれは大きいから価値大きいかというとそうでもないだろう
そういうことを考えておるのです
オレが中心に考えているのは「批評」のことで
その作品のことばかりここ2か月は本当にそのことだけを考えている
といってもいいのでなんでも何していてもそれが浮かぶようになっている
・両親が死んだのは本人にとっては天変地異大事件であるが
その周囲や他人からしてみればそれは特に大きい事件ではない
人間はかならず死ぬというが・・・
・演算処理のようにコンピューターの行っていることももともとは人間の行っていることの模倣である 人間がそのようにプログラミングしたからだ
ニコラス・ルーマンが社会システム理論を考えたときに「神を排除する」ということをまず考えたという話があり
何かというと社会は「人間の意思でつくられたものだ」というときには人間をあたかも神のように神の視点で上から(超越的な地位から)俯瞰して社会を彫塑したのだと考えることもあるがそれが間違いで
人間が神であるわけないじゃん
ということで神を排除して何がのこったか
という話でそれが相互のコミュニケーションだというのだが
それって「実体は存在しない 関係性だけが存在する」というあの量子力学のイタリアのカルロ・ロヴェッリの話なのだろうか
ちょっと飛躍しすぎました