直感

録画したのを整理しつつ

六角さんの呑み鉄本線

はじめて三鉄(三陸鉄道)にのりにきた

久慈からしゅっぱつ

なつかしい岩手

 

オレはさんざん岩手県内もとなりの秋田も

車でうろうろしたもんだが

今思えばよくも遠距離を走ったもんで

 

それで

 

風景とか

無秩序な順番で思い出すのだが

 

そのときに何を考えていただろうかと考える(思い出そうとする)のだが

それは簡単には思いだせないが

たぶん「こうやっていまは落ち着かない感じの放浪をしているが

いつか落ち着いてあてどない気分もおさまる かも」くらいには

思っていたと思うが

 

いま突然直感で思うがそんな日は来ないのだ

来ない

絶対にこない

死ぬまでそんな「おちついた・・・」ように思うことなど起こらないし

オレがオレに満足する日などはこないし

現実は現実化した場合には常に流動している(だからこそ現実であるといえる もし流動ではないならそれは止まっており止まっておるものは現実ではない)

 

だからこれからもそうなのである

 

そのときに生きたい行きたいところがあればそこにいくし

けっこう長いことそこに生きたい行きたいと思っていたならば

そこに旅行にいくだろうそしてそこで「ああこれでこの件については

満足」と思う

全部満足しきることはない

旅行ひとつとってもそうだし

その他のこともそうだ

 

その都度のそれしかない

いまはこれをやっていてこれはここでこう終わる終わればオレは

一定の満足を得られる

 

そこまではわかっている

 

でもそれでもう完全に落ち着くなどということは今後も未来永劫

ないのだ

 

と直感でわかったいま