有吉の壁

今日は大型スポーツ用品店だったのかな(アルペン

 

あいなぷぅが先週も今週も露出が多いぜ

蛙亭さいきん出てても影うすいなあ

採用数すくないのかなあ

さみしい

 

さあ夕食くったし寝るぜ2000だけどな

寝るときは寝るんだよ

 

朝型ですから

 

 

なんかねそう今日のひるまに思ったんだけど

そんなに世の中に至極死ぬほど重大なことって

ほんのわずかしか無いんだなって

おもって

 

若いときはすごくたくさん重大なことがある!いましかない!

 

と想うことが多かったのだが

 

そんなに

ないんだって

最近思うの

 

それはね

 

相対化ってことだと思うのね

 

価値についてずっと(2か月くらいかも)考えているのだが

価値というのは個人のそう思うことが巨きいので

ユニバーサルに多寡を決めることができない(やりにくい)のですね

 

たとえば平日にライブにいきたいよ!と思ったときに

がっこうなんかどうでもいい

と思いますが

しかしライブさえも

それはそんなに

死ぬほど行きたいかというとそこまでではない

と思うこと思うようになったわけです

 

なんでだろうね

 

おそらくオレの個人的なスケールの中で

「真に絶頂の体験」が

もう

終わってしまってそれは二度と起こらない

ということが確定満貫

ってまったので

それを超えるものがもうありえないだけに

他のそれらはどれも二番以下ですと

決めてしまったからだと思う

 

というか

 

でもそれは「なにもかもどうでもいい」と思ってるわけじゃないのね

 

いろいろ価値あるものがあると思ってるし

 

それだからこそ見たいものを観にいくことを躊躇しないようにしている

 

しかしそこにはいろんな材料が判断のきめてになっており

美術館が好きなのはオレが好きなときにいって入って出て

いけるからだ

 

(映画はどうしても時間と場所をむこうのほうがきめているので

オレがそれに合わせないといけない)

登山だって駐車場満車とか天気とか季節の温度とか

制約条件がたくさんあるのね(あとくるまドライブが遠い)

 

なかなか大変なのです

 

それでもできる順番でやってみるしかないんだよ

 

だからいっそ「小銭を稼ぐ」と名付けた就職活動も

別に仕事はオレの人生の中の小さい部分に過ぎないと

思っているしどうでもいいと選択はそんなに重要ではないと

思うようになっているのである

だからこそ気楽にできる

べつに何を選んでもそんなに結果は変わらないのである

たぶんね

 

家族について考えているのはまだ脳がある程度うごく間に

オレにとっての切実なこと

たとえば家族(親とはどういう嫌いなのか)を

考えることそれを小説にすること相対化すること

をやりたい結果として残したいなあと

思っていることの成果をまとめたいなあと

思っているからである

 

それこそ

それがただの自己満足でもぜんぜんかまわないのであるオレの

虚栄心とかもう満たされなくても別にぜんぜんかまわない

NOTE書いたとてなにもつかないがかまわないね

 

しかし有吉の壁もそろそろマンネリかもしんないよね

 

佐藤栞里ちゃんは永遠にかわいいんだけどね==