6月8日(土)

今日だけいい天気

明日は下り坂の天気

 

いろいろ困りごとありて

明確にこれは解決の方向に向かわせないという

「ここにおいていく^そして解決しない」

という方法もあるんだが

 

まさに他人が存在するそのこと自体がストレス

他人がいなくなるところはこの世に存在しないものの

「他人を薄くする」くらいのことはできる

 

もちろん「最高の復讐とは幸福に暮らすことである」と

信じてるしその通りにする

することにしている

 

たいていのことはうまくいかない(実現しないし理想通りにならない)

ので

ひとつひとつくらいは確たることを目指してもいいし

そこにおいてはオレが1000%コントロールするという行動

がなければしんでしまう

家が建たなくても小屋くらいは実現する(借りた土地に

建築確認のいらない面積の・・・)

 

参考

containerworks.jp

 

うーーーんこの世は面倒な世だねえ_~~

 

 

ともあれオレの有利さは

オレは実際どこにでもいけるし何をすることもできるということだ

他人を変えること以外はね

 

だから以前は「自分が人間の他人のいない場所にいく」’(たとえば登山して登る経験そのものは他人の邪魔がなく自分の足があれば可能)

を選択してよく登山していたが

まあ

大変は大変で

 

もちろん今でもそれはしたいししたいがしかし

それだけをしたいわけではなく

 

「住む」とか「店つくる」とかしたいなあと「家たてる」をしたいわけでこれで3つで三位一体

こういうことを考えだすと他人もいる世間というものとコンフリクトする

(金のことや法律のこと オレの意思があっても他人の意思もあること)

 

それでも住む場所の自由はあるので移住そのものはできる

家が建つかどうかは金と条件(不動産条件)の問題

 

店が成り立つかどうかは究極的には客のほうの金ばなれの問題

 

オレはいっしょうけんめいなるべくこうやって

頭の中で考えるときに「切り分けて」

いくように最近している

というか日記かきまくりでいいんだよと決めたところからこっちずっと

切り分けるようにしている

それはサバイバルであり

頭の中身を「外に出さないとしんでしまう」からだ

 

それこそフィーヤンでディスレクシアの人のいろんなありかたのなかで

「黒板の板書をノートに書きうつす」ことができない人

が出てきてへえ~~と思って

メモをとる

もできないので「記憶する~すべてを」のだそうだ

しかもその記憶が「できる」んだって

その記憶がすごいよ

(世間はそれを邪魔するわけだが)

 

そういう人が世間では大変なように

オレもまた頭の中身の取り扱いが大変だという話だ

 

他人からどのように取り扱われるかはとにかく気にしない(なんでもいいとみなす)ことにきめたんだが

自分の頭の中身の取り扱いについては妥協できない

とことんまで出汁をつくすしかない

出しつくすしかない

絞り出すしかない

井戸掘るしかない

 

それこそ他人からのとりあつかわれかたと

他人のとりあつかいかたは

デタッチメントに限るのである

齟齬あるにきまっているのだから

せめて相互性の成り立つ部分つまり

~でなくてはならない

を排除するしかない

こっちにはプライドなどない

どのように扱いがあろうともこっち(オレ)は

なにも影響をうけないし変わらないのである

という設定