ゆうがた

疲れた。
日曜というのに。
朝から職場いってPC打って、昼飯くいに家に帰り、また職場いって、やっと終わった。バカバカしい。なんというかクリエイティブさのかけらもない作業だった。
 やだやだ。
 
 基本的に見切りをつけたい。いろいろ書いているが迷っているのも確かではある。しかし基本的には見切りをつけたい。見切り発車という言葉もあるが、発射しないと出ていけない。なぜ出ていきたいのか。澱んできたからだ。水が。
 
 クリエイティブさが無いところにいるとルーティン化すると思うのである。こなす、とか、片付ける、とか。そういうことしているとやがてただの腐ったものになってしまうと思うのである。
 まあ、行き先が、またそういう同じところでもある可能性もあるというのがそもそもの懸念である。自分次第という言葉はきれいに聞こえるが、オレにはどうしようもできないこともたくさんあり、そうではなくオレにどうにかできることもたくさんある。
 
 どうしようもできないことは他人のことであり。他人は尊敬できるポイントも軽蔑できるポイントも持っている。複合体。オレもたぶん他人から見たらそのような人間なんだろう。まあ基本が屑ではあるが、まあそれでもさいごまでケツをふかないといけない。
 他人の軽蔑ポイントについてはそれをオレが変えるなどとは思っていないしそんなの不可能だ。
 基本的なスタンスとか、それは個人それぞれしか構成できない。
 
 役割みたいのは投げたり投げられたりしているわけだが、基本的には、オレはしたいことだけしたいわけだ。どうやってその基本線に近付けていくかがオレのすべきことだ。
 
 などと抽象的なことを書いているのはWEBには個人的な具体的な名称や個人を中傷するようなことは書けないからである。
 
 そういうのはオフラインで書く。
 
 あんまり澱んでしまうと取り返しがつかなくなり、また、動くのであれば少しでも若い方が動けるのである。初老とはいえ、本格的な老になってから動くのは大儀であろう。大義ではないよ。へえ、そういう使い分けなんだ。初めて知った。字で分けていいのね。
 
 冷凍ものを解凍する場合に。解凍方法も調べないとなあ。