映画「劇場版 ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 星なき夜のアリア」について

・あとで追記する

(オレの考える「映画たらしめるために必要なこと」ってなに?)

 

みてきた

 

最初にききたいのはこれはそれまでのSAOを読んでみている人向けなのか

それとも知らない初心者向けなのか

 

アトロクにおいてドロッセルマイヤーズ渡辺氏は

SAOはラノベとして長期シリーズにもかかわらず

新規読者を獲得することができている(今でも)と

言うので

すが

映画はどうなんだろう?

 

と思ってみにいったわけですね

 

 正直いって「映画的であるために必要なこと」は

いくらか欠いている映画だったと思う

 

キャラが魅力的かというと魅力的でもあるしそうでないともいえる

 

根拠なく特別な状態ともいえる

 

あと主要3人物の他の人たちが

あなたたちはそれぞれの苦悩とか

あるのかないのか

 

黒幕の人(名前がある)は

どうしてこんなことをしたの?

 

黒幕の人はどうしてこんなことが

可能なの>?

 

ゲームに没入するんだけど

ログアウトできないようにして強制終了でヘルメット外そうとすると

その人間は死ぬというのは

常識で考えるとそれはそもそもありえない

(もしそれを可能にするならヘルメット形式ではなく

脳にin vivoで接続でもしてないといかんだろ)

ありえないとか言うのが野暮なのか??

 

そんなところからひっかかっている(邪魔)

 

ゲームがや仮想現実を題材にするアニメはいつもこのへんが

ひっかかる(新海誠はいいけど細田守はダメって感じる)

 

なぜ新海誠ならいいのかというと

雨を晴らすのは「魔術」だからである

はぁ~それなら納得できるって?

それは「現実の我々は絶対実現できないどころか未来でも実現できない」こと

だからです

いくら科学技術が発達したとてできんもんはできん

 

仮想現実やゲームワールドは

「こういう技術でできる かもしれません」とか言いかねないところ

嫌いだ

 

オレが嫌いだという話でした

 

まあそれで

 

映画は主人公がアスナちゃんだという話でした

 

キリト君ではないのね

 

なにしろ原作を読んでいないもので

 

大変物語の人心のこととして気になる柱2点

アスナちゃんは友人とパーティを組むんだけど途中でうらぎられる

それはショックなんだけど

それを「説得」するキリトくんの言葉が不明瞭というか

なんであの言葉で「ならいいか」となるのだろう?

と思った

 

ベータテスターを非難する人が出てくるのだが

なんというか嫉妬の方向性が間違っているというか

ベータテスターだっても同じゲーム世界に閉じ込められて

何週もかけて1層目のボスさえ倒せていないことは同じではないか

所詮同じ穴のムジナであって

何もそんなに特別でもない

仮リーダーが倒されたのだって

あの戦闘じゃあ誰だってちょっとくらいの経験があったとて

たくさん死んでいて当然じゃん

嫉妬して非難したところでなにも事態は有利にもならず

なにもいいことないのに

バカじゃねえの

 

以上2点が大変気になりました

 

キリトくんがなんかこうアドバンテージをもっているのは

原作には書いてあるんでしょ

 

まあ原作そう簡単には読まないけど

 

なんだろうなあ

 

悪口をたくさん書いたがそれでも

これの原作がラノベとして大成功したことには

なにか「面白さ」の理由があるはずなんだ

だから原作読んでみたいとは思うんだけどね

 

あとオレが新海誠を擁護するのはもうちょっとちゃんとした

根拠が必要だ(反省)